WORLD BREAKFAST ALLDAY吉祥寺がカイピリーニャづくりとブラジルの定番おつまみクッキングのワークショップを開催

2024年 05月 18日
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WORLD BREAKFAST ALLDAY吉祥寺店は5月23日(木)、様々なフルーツで作るカイピリーニャつくりを、ブラジルで人気のおつまみと共に楽しむワークショップ「VAMOSラテン呑み!COOKING」を開催する。

カイピリーニャはブラジルの国民酒カシャッサをベースに、ライムと砂糖を材料にして作る国民的カクテル。クラシックススタイルのライム以外にも、キーウィ、いちごなどさまざまなフルーツやを使って作るバージョンも親しまれている。

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【コラム:ブラジルとともに 1】シンプルに暮らし、自由に生きる、それが一番いい

2024年 05月 9日
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樹齢45年のジャボチカバにやってきたインコ(画像提供/末吉業幸)

庭に植えている2代目のレモンタイチに真白い綺麗な花が咲き朝早くからブーン、ブーンとミツバチが群がりハチミツを集めている。樹齢45年のジャボチカバは勢いが衰えず、夏は2ヵ月毎、寒い季節には2ヵ月半毎に、色は黒真珠、大きさはミニトマトより少し大きい甘い果実がとれる。

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ガーナのNGO組織が、ブラジルからマンジョッカ産業の知識や技術移入を計画

2024年 04月 30日
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パラナ州は国内の工業用マンジョッカ生産をリードしている(写真/José Fernando Ogura/Arquivo AEN)

パラナ州は、ブラジル最大のマンジョッカ由来のデンプン生産地だ。マンジョッカ自体の生産ではパラー州に次いで国内第2位だが、国内で最大かつ最新の、デンプンとファリーニャ(マンジョッカ粉)の工業団地がある。

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「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024」の展示関連プログラムでヤノマミ族のダビ・コペナワが来日

2024年 04月 7日
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ヤノマミ族のリーダー、ダビ・コペナワ(画像提供/一般社団法人KYOTOGRAPHIE)

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024のプログラムでは、長年ヤノマミ族の写真を撮り続けている写真家でもあり、「Comissão Pró-Yanomami 」をヤノマミ族のダビ・コペナワと共同で設立した活動家クラウジア・アンドゥジャールの作品展「ヤノマミ ダビ・コペナワとヤノマミ族のアーティスト」が行われる。

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ブラジルの児童文学作家、イラストレーターのジラウドさんが91歳で死去

2024年 04月 7日
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ジラウドさん(写真/Fernando Frazão/Agência Brasil)

作家・イラストレーター・漫画家のジラウドさんが4月6日(土)、91歳でこの世を去った。死亡は作家の家族によって確認された。家族によって公開されたオフィシャルの文書によると、リオデジャネイロ市のゾナスウ(南部)、ラゴア地区にある住居のマンションで14時30分に亡くなり、自然死だったという。氏には3人の子供がいた。児童文学作品で高く評価されタジラウドさんは、幾多もの賞を受賞している。1969年には第32回ブリュッセル国際カリカチュア作品展では国際ユーモア“ノーベル”賞を受賞。同じく1969年にブラジル プレス協会からラテンアメリカの報道の自由を称えるメルガンテアレル賞が贈られた。1980年には、代表作「オ・メニーノ・マルキーニョ(やんちゃなマルキーニョ)」でジャブチ賞(ブラジル書籍評議会(CBL)が主催するブラジルの重要な文学賞)を受賞。2012年に「オス・メニーノス・ド・エスパッソ」で再度、同賞を受賞した。ジラウド・アウヴィス・ピントさんは1932年、ミナスジェライス州カラチンガ市で誕生した。1939年、7歳の時に、地元紙「フォーリャ・ジ・ミナス」に最初の漫画を発表した。1949年、リオデジャネイロ市に移り、同地でキャリアを築いた。ミナスジェライス連邦大学で法科の学位を取得したが、漫画家、作家、プレゼンター、ジャーナリストとして重要なキャリアを築いた。1950年代には「フォーリャ・ジ・マニャン(現在の「フォーリャ・ジ・サンパウロ」)」紙でユーモアのコラムを担当した。1960年代、最初に成功した漫画刊行物「トゥルマ・ド・ペレレー」を出版したが、1964年の軍事クーデターが起こって間もなく発売中止となった。(同作品は)数十年後にアブリウ社、およびプリモール出版から復刊されることになる。ジラウドさんは、アートによって軍事独裁政権に抵抗した作家としても、その名を歴史に刻んでいる。有名なメディア「オ・パスキン」紙を創刊・主宰して、体制に抵抗した。この活動は軍政にとって気に障る存在となり、軍政による検閲と反抗者への弾圧を強化した軍政令第5条(AI-5)の施行の後、逮捕されるに至った。ジラウドさんは軍事政権から“危険分子”とみなされていた。ジラウドさんはその後も政治的な活動を続け、ブラジル共産党(PCB)、その後、社会自由党(PSOL)に所属した。氏の作品の中で最も有名な「オ・メニーノ・マルキーニョ(「やんちゃなマルキーニョ」)」は、ジラウドさんの息子からインスピレーションを受けて1980年代に誕生した。キャラクターは、ベストセラーとなった児童書をオリジナルとしながら、ブラジルの映画館で大ヒットした映画も生んだ。(記事提供/Agência Brasil、日本語文/麻生雅人)

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